17
2022.09
「自主性を重んじる」に揺れる、「ゆうきママ」の場合。
「教科書が教えないリアル」というタイトルのとおり、ちょいちょいご時世に合わないことも物申している僕ですが、これでも各方面に配慮した言葉選びをしているつもりではあります。笑
ただ、月間PV(ページビュー)が30万件に達し、ありがたいことに多くの人に訪問していただいているからこそ、もう少し言葉を選んだ方がいいかなあなんて思ったりもします。
しかし一方で、このご時世に流されない物言いが支持されているのではないかという自分に都合のいい考え方もあり(笑)、やはり「わが道」を行こうと思っています。応援よろしくお願いいたします。
(個人のFacebookプロフ自己紹介より)
9月1日の日付が変わった瞬間の午前0時にメール受付を開始した「小学部本科コース・新小1入塾予約」ですが、深夜にも関わらず開始1分で満席になるという、人気アイドルのコンサートのような出来事がありました。
また、ぽつぽつと県外の保護者の方からもメールでご相談をいただくなどして、カレッジは中高生はもちろん、特に未就学を含む小学生の保護者の皆様に日頃から注目していただいていることをひしひしと感じます。本当にありがとうございます。
塾生保護者からの相談や、外部の方からのメールでの相談などをお聞きしていると、きっとこのブログを読んでくださっている方の中にも、まだ接点はないけれどいろいろな悩みや心配事をお持ちの方が見えるんだろうなあと想像しています。
ゆうきママの場合
私はママ友の中ではけっこう男勝りな性格だと思われている。
たしかにそういう自覚もある。
最近流行している「メイク男子」がテレビとかで取り上げられているのを見ると「きもっ」って思うし、韓国の男性アイドル「BTS」が大人気だと聞いても「BTSにキャーキャー言う前にBTB溶液の色の変化でも復習してろ」と心の中でつぶやいてしまうくらいだ。
「やっぱり男は岸谷五朗でしょ。」
私が放ったこの言葉がママ友たちの中での私のポジションを決めた。
息子の名前を「雄氣」(ゆうき)と決めたのも夫ではなく私。
「男気」のある男になってほしいという願いを込めた上に、当時好きだったバンド「氣志團」の「氣」を使った。
だから私は「ゆうきママ」のはずなのに、「おぎママ」と呼ばれている。
ママ友の一人が「雄氣」を「おぎ」と読み間違えて「おぎママ」と呼んだのが始まりだ。
にこにこ笑いながら受け流していた私だが、内心では
こいつシバく。
と思ったものだ。
やはり私は少し男っぽい。
でも、そんな私も家では子育てについて悩んでいる。
テレビで、お子さんが東大に行った「子育て術」が特集されていて、私とは正反対のその子どもへの接し方に、もはや反省を通り越して、罪悪感を感じ始めている。
私はゆうきのために、心を鬼にしているのに。。。
久しぶりの妄想シリーズでした。(笑)
実際には友人のお子さんの名前をイジるようなママ友グループがないことを祈ります。
東大生の親の子育てコメントあるある
お子さんが東大や世界の最高峰大学に進学した親御さんの「子育てコメントあるある」で
「家では一度も子どもに勉強しなさいとか本を読みなさいと言ったことがありません(^-^)」
というのがあります。
そういうごく稀で特殊な家庭を素晴らしいと褒めたたえ、メディアが取り上げ、出版社が食いつき世に拡散されるので、それをみた現役子育て中のママさんたちが、しなくていい反省をして、子どもへの声掛けをためらうようになります。
大変失礼な言い方になるかもしれませんが、この東大あるあるは、それはお子さんが「そういう子」だっただけで、教育方針がすばらしいのではないと思います。もちろんそこにはご両親の普段の知的好奇心をくすぐる声掛けほめ方、お子さんに見せてきた「背中」が素晴らしかったというのはあると思いますが。
その子は「したいこと」が勉強することであり、本を読むことだったのです。
でも、圧倒的多数の多くの子の「したいこと」は、そうではありません。
体を動かすことが好きな子は家や外で暴れまわって遊びたいでしょうし、ゲームや動画が好きな子はいつまででもそれをしていたがると思います。
もし、その東大生の親御さんのお子さんが何も言わなければ延々とゲーム三昧の子だったとして、そのお母さんははたして一度も「そろそろゲームやめて勉強しなさい」と言わなかったでしょうか。
もしもそうならすみません。僕の敗北です。笑
「勉強しなさいと言わない」は翻弄されてはいけない子育て術
18歳人口110万人のうち、大学短大受験者数は65万人、うち東京大学合格者数は3000人(現役はおよそ75%なので2250人)。その中で親から「勉強しなさい」と一度も言われずに育った人が仮に20人(根拠なし。けど、これでも多めの推測w)いたとすると、それは全体ベースで0.0018%の「かなり特殊」なケースということになります。
ではなぜこれが「あるある」として、さもそういうご家庭が多かったようにわれわれに認識されていくのでしょうか。
それは、メディアは一般的な出来事よりも視聴者や読者に新鮮で驚きのある事柄を扱うからです。
「小さい頃は、何度も衝突しながら親も子もとにかく必死で勉強しました」という話よりも、「『勉強しなさい』と言ったことはありませんが東大に合格しました」という親子双方ストレスフリーで、子どもとの摩擦に悩むママたちが飛びつきたくなる話を取り上げます。
繰り返しになりますが、0.0018%の激レアケースです。決して一般論とは言いがたいこのケースに翻弄されて、その放置期間をあとで後悔しないようにしていただきたいと思います。
幼い時期に「自主性」を重んじ過ぎることのリスク
Googleで「自主性」と検索すると、一番上にこう出てきます。
教育業界においても「子どもの自主性を重んじる」という美辞麗句を掲げる学校や塾を見かけます。
「コイツうちのこと言ってんのか?」という先生方を大いに怒らせてしまいそうですが、塾講師歴25年の経験に基づく個人的な見解としていわせていただくならば、初期段階(特に小学校低学年)から自ら机に向かい勉強に励む子など、これまたごくわずかであると断言します。
学習内容が小難しく、やや面倒になってきたらなおさら自ら机に向かうという子は少ないでしょう。
僕が言いたいのは、まだ学習習慣がつく前の子どもに勉強するように言うことは決して悪いことではないし、ましてや反省すべきことでも、罪悪感を持つべきことでもないということです。
イメージは「自転車に乗る練習」
お子さんの自転車の補助輪を外して自走する練習を一緒にやったことが多くの方にはあるのではないかと思います。
まさにそれと同じで、初めはおかしな方向に進んでしまわないようにしっかり体や自転車を支えて伴走してあげたらよいと思うのです。
軌道に乗れば、ちゃんと自分で進んでいくようになります。
時に止まることもおかしな方向にハンドルを切ることもあるかもしれません。
そのたびに、「こっちだよ、そっちはあぶないよ」と呼びかけますよね。それは至極当然のことではないでしょうか。
一方で、わずか10メートルでも補助なしで自走できたときに「すごい!こんなに自分でこげたよ!ほんとにすごいねえ!」とお子さんを抱きしめ、心からほめてあげたときのように、できたことを思いっきりほめてあげてください。
勉強を促すときの注意点
気をつける点は、勉強が難しいとか面倒だと本人に吹き込みすぎないようにすることかと思います。
自転車の例に戻せば、「自転車に乗るのはむずかしいよ。たいへんだよ。足が疲れるし、転ぶとケガすることもあるし痛いよ」と吹き込まれた子が、すすんで「自転車にのりたい!」とは思わないでしょう。
嫌なことを「させられてる」という思考に落とさず、親も無理やり「させている」という思考に陥らず声掛けをしていくことが重要だと思います。
そのための根本は、勉強をすることは「必ずこの子を幸せにする」とまず親が信じることではないかと思います。
勉強に関していえば、幼いころから自主性を重んじて、子どもが進んで自ら勉強するようになる確率はとても低いものです。
教科の勉強を材料として、さまざまな頭を使うトレーニングはやはり必要だと思われるのであれば、先に指摘した美辞麗句が「今のわが子に重要か」というのは、お子さんの成長段階をよく見極めて判断していただければと思います。
それではまた。
【おまけ】その他の妄想シリーズのご紹介
エッセイブログの更新通知はこちらから。不定期更新でも見逃しません😚
学習塾カレッジ塾長のXアカウントです。
公私ごちゃまぜでつぶやいています。よかったらフォローしてください😘