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2022.10
今川義元の「むごい教育」講師一斉研修より
生徒に年齢を聞かれたときの回答パターン
僕は今45歳(昭和51年生まれ)ですが、他塾の先生たちや業者さんとの会話で、年齢や生まれた年を言うと「(その年に)見えないですね」とか「あ、年上だったんですね!すみません笑」などと言われることがよくあります。
そして、塾の仕事をしていると、授業中にちょっとした話の流れから生徒から年齢を聞かれることもよくあることなのですが、僕は「10歳くらいサバを読んで答えるパターン」は、あまり使ったことがありません。
そう切り替えしている大人や先生をよく見かけますので、子どもたちに「この人も結局そこらへんの大人と同じなのね」と思われたらどうしよう…という宮下草薙の草薙のような被害妄想もあります(笑)が、わりとリアルな年齢と受け取られてしまうことがあるからです。
だから、絶対ちがう(冗談でごまかしている)と分かってもらえるような「返し」をしています。
最近のお気に入りは、「95歳」です。(*^^)b
おじいちゃん宣言する大人はレアだからなのか、ちゃんと「ええっ?!」とリアクションしてくれるので「50年前に不老手術を受けたから若く見えてるかもしれないけど、ほんとは95歳。」と答えます。
だいたい教室炎上。笑
でも、一周したらまた別のをいかないといけない。(なんかお笑い芸人のつぶやきみたい。笑)
塾の先生が自分の年齢をあまり言わない理由
なんとなくですが、塾業界には、子どもたちにスッと自分の年齢を言わない文化があるような気がします。
僕の場合は、おそらく学生や新卒のころに受けた研修がしみついてしまっているからではないかと思います。
学生時代にアルバイトをしていた塾では、今の年齢や大学生であることを言わないようにと研修で指導を受けていました。就職しても、ある程度、年数が経つまでは年齢を言わないのが暗黙の了解でした。
それは講師が大学生であるとか、経験が浅い新入社員であるということが、生徒や保護者に心配を与えかねないからということだと思います。(たぶん)
塾業界サイドからいえば、学生でも社員勝りな講師は多数存在します。実際に、4年目で指導歴豊富な学生講師と、教育実習で授業をしたことがありますという程度の新入社員講師とでは、前者の方がよい授業をすることがほとんどだと思います。
でも、生徒・保護者サイドからは、一般的には「学生=アマチュア」「社員=プロ」と認識されるものです。
塾にそういう文化ができた歴史は、本当のところはよくわかりませんが、おそらくそうした認識の差によるトラブルを回避したり、心配を与えないようにするための「実年齢伝達禁止文化」なのではないかと思います。
カレッジの講師は無断遅刻・無断欠勤が複数回で退職!?
先日、転塾の相談にいらした方が、「今習っている先生はよく遅刻で時間変更になる」とおっしゃっていました。( ゚Д゚)
学生講師の方だそうですが、頻繁にそのような事態が起きるという話に正直驚きました。
家庭教師のようなスタイル?というお話でしたが、管理する側(塾?家庭教師センター?)は把握していないのでしょうか。(; ・`д・´)
こういうことも「学生の講師なんですね、、、苦笑」と保護者に不安をよぎらせてしまう要因の一つなのかもしれないと思うと、他塾の体制に口出しするつもりはありませんが、誠実に懸命に頑張っている学生講師もいるので、しっかり管理してほしいと思ってしまいます。
カレッジでは、特別な理由も事前連絡もなく、授業に遅刻や欠勤を複数回繰り返す講師は、残念ですが退職してもらっています。
もちろん長期的に信用回復に努めてくれる講師もいますが、一定期間、「予定通り出勤しない可能性」は、リスクとして僕の脳裏に刻まれますので、しばらくの間、担当シフトも積極的には配置できなくなっていきます。
特に、多少の緊張感を持って臨んでもらいたい試用期間中にこれらのことが複数回発生するとやはり心配になるのは当然です。
(生徒や保護者への挨拶なども快活にしっかりすることは研修でかなり重きを置いて伝えているところなので、これも微妙だと本採用見送りの決定打になってしまいます。)
仕事に無断欠勤、無断遅刻するということは、生徒やそれをフォローするために動く他のスタッフたちにも迷惑がかかることで、信用も損ねます。個人が学校の授業に遅刻するのとはわけがちがうのです。
管理者としての指導力不足もあるにも関わらず、こうして退職となった人たちには本当に申し訳ないと心が痛みます。それを棚に上げることが許されるならば、まもなく飛び込む『社会』を知る経験に変えてもらえたらと願います。
すこしきびしいでしょうか。(^▽^;)
仕事観はさまざまに変化しているので、多様性や若い人たちへの理解も含めて考えていかなければなりませんが、カレッジが塾として持つ「生徒・保護者への責任」は変えるわけにはいきません。
ネームプレートに若葉マークをつけて「トレーニング中」と書いてあれば、ちょっとがまんしてもらえるかもしれない業種ではないのです。
生徒や保護者にとっては「学生」や「新人」は何の言い訳にもならないですよね。
講師だけでなく、僕も含めていたらない点が多々あり、ご迷惑をおかけすることもありますが、その都度誠実に、塾全体でしっかりフォローしてまいります。
そして、僕がまずやるべきことは、講師を、しっかりと生徒に責任を持ち、保護者に安心してもらえる指導者として育成することだと考えています。
講師一斉研修で確認した塾としての「理念」
もう2か月前になりますが、夏期講習前に講師一斉研修を行いました。
授業における指導ポイントや注意点ももちろん伝えますが、授業の研修は個々にも行っているので、一斉研修では塾の理念や方針などを確認する時間が大半を占めます。
130人を超える生徒が通い、徹底個別コースや速読・英語コースなどもあります。もはや僕一人で全員を指導できるわけではありません。講師たちには、本科コースでも小学部個別演習や、中学部英数個別授業をお願いしています。
そして、子どもたちを相手に仕事をしている僕たちにとって、マニュアルというのはあまり意味を持ちません。十人十色、千差万別の対応を柔軟に、臨機応変に行っていかなければならないからです。
そのため「塾の理念」の確認は重要だと考えています。
保護者にしてみても、「先生によって指導方針がちがう」では、大切なお子さんを安心して預けられないと思いますし、基本となる塾の考え方をすべてのスタッフがしっかり理解していれば、異口同音ながらもその考えに基づいて生徒への声掛けや対応を行えます。
「理念」は何かと「行動の指針」となり得るため、一斉研修ではそこに多くの時間を割いているわけです。
見聞色の覇気 ~その子の言動から「未来」を想像する~
「うちは『学習塾カレッジ』という名前ですが、同時に『教育塾カレッジ』でありたいと思っています。」
これは、僕が講師たちに伝えた言葉です。
カレッジは『教育塾』として、学力だけでなく、保護者の皆さんと一緒にその子自身の『成長』をサポートしていきたいと真剣に思っています。
これは研修のパワーポイントで使ったスライドの一枚です。
ふざけているみたいですが、話したことは真剣です。笑
「見聞色の覇気」というのは、人気漫画『ONE PIECE』(尾田栄一郎)の作中に出てくる主に「未来を見る」能力です。(*^^*)
つまり、「ん?」と思った生徒の気になる言動をスルーしてしまうことによって、この子はどうなっていくのか「未来を想像」してほしいということです。
例えば、
・宿題をしばしばごまかしている
・提出期限をいつも守らない
・授業にしょっちゅう遅刻する
こういうささやかなルーズ系も、やさしい声掛けだけで対応をスルーしていると、また同じことを繰り返すだけです。大げさでなく、そのまま社会人になったら信用されない人になりかねません。
・授業中の説明を聞く姿勢がきわめて悪い
・人を傷つけるようなことを平気で言う
・考えずに「わかんない」と言う
対人関係を悪くしかねない言動についても「この子はいつか孤立を招くのではないか」と未来を想像し、勉強面において自分で考えようとしない子は「この先の学習だけでなく生活の中でもどこかで壁にぶつかるのではないか」と未来を見ます。
僕など人間的にはまだまだ未熟です。でも、子どもたちよりは長く生き、塾の講師としてもたくさんの子どもたちを見てきて、この子はやがてこんな場面で困るのではないか、というのが「見える」ものです。
(もちろんいい意味でそれを裏切り、大きく才能を開花させてくれる成長を遂げてくれることもあります!)
6割以上が大学生であるカレッジの講師は、そういう意味では「見える」未来がまだ直近のものにならざるを得ないかもしれません。それでも、精一杯その子の「未来を見てほしい」と伝えました。
そして、その子の未来に暗雲が浮かぶようであれば、「うるせえなあ」と思われようとも、早期に回避できるよう働きかけるのが子どもの成長に携わる者の使命ではないでしょうか。
「怒らない先生」=「いい先生」?
何年か前、生徒が学校の先生を「あの先生、ちょーいい先生」と言っていたので、「どんな先生?」と聞くと「何してても怒らない。ちょーやさしい」と言っていました。
現代の子たちの感覚なのかもしれません。
そして、生徒が「いい先生」と言っているのに否定するのはおかしいと思いましたので、何も否定的なことは言いませんでしたが、はたして「何をしても怒らないやさしい先生」が本当に子どもたちにとって「いい先生」なのでしょうか。
叱ることに抵抗のある指導者は、おそらく世界中にたくさんいます。嫌われたくない、相手との関係性を壊したくないという思いもあるからだと思います。
でも、明らかな問題行動を目の前にして何も動かないことは、ちゃんと頑張ろうとしている周囲の子どもたちからの信頼をなくしてしまうものです。
それは「あの人は自分たちを守ってくれない大人」と感じられてしまうからです。
叱るべきところではきちんと叱る。
言いたくないことでもちゃんと話して伝える。
それは、「嫌われる」とは逆に「信頼される」ことにつながるものだと思います。
僕は講師たちに言いました。
「子どもたちに『むごい教育』をしないでください。」
今川義元「むごい教育」
桶狭間の戦いで織田信長に敗れた今川義元は、後の世の人によってポンコツ感が誇張された大名として描かれていますが、実際には極めて優秀な大名であったと言われています。
講師一斉研修「理念編」の最後に、そんな今川義元の「むごい教育」のエピソードを話しました。
徳川家康はまだ竹千代という名だったころ、今川氏の人質になりました。
義元は家来たちに命じました。
「竹千代には最も『むごい教育』をしてやれ。」
家来たちは、その日からまだ幼い竹千代に、食べ物は粗食のみを与え、水もわずかしか飲ませず、早朝から深夜まで、休憩も最小限に、水練・剣術・槍術・馬術・学問に厳しく励ませ、修行僧のように鍛錬していきました。
しばらくして義元は家来に「むごい教育」はどうなっているか尋ねます。
家来が、竹千代に行っている厳しい教育の一部始終を得意げに報告すると、義元は怒り、「むごい教育」について、改めて次のよう指示しました。
「竹千代には、朝から晩まで、海の幸や山の幸あふれる贅沢な食事を好きなだけ与えてやれ。寝たいと言ったらいつでもどれだけでも寝かせてやれ。夏は暑くないように、冬は寒くないようにしてやれ。学問が嫌だと言うならやらせるな。何でも好き勝手に思いのままにさせたらよい。」
そして、義元は最後にこう言いました。
「そうすりゃ、たいがいの人間は駄目になる。」
それではまた。
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