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2018.05
「匿名という無責任との闘い」過去の炎上体験から。
先月の下旬、僕は名古屋で開催された「塾ブログフェス2018」に参加してきました。
パネリストの皆さんへの質疑応答の時間があり、大勢の聴衆がいる中で、僕は運よく質問の機会を得ることができました。
二度も。(笑)
あいつ主催者が仕込んだサクラなんじゃねえの?って思った参加者の方もいらしたかもしれません。チャウチャウw
僕が質問した内容は、いずれも「炎上」についてでした。
質問した内容もいただいた回答もよく記憶していますが、ここに書くのは控えたいと思います。Σ( ゚Д゚)
過去の「炎上」体験から
実は、僕自身も過去に自分の書いた記事が炎上した経験があります。
僕はかつて、ニコニコチャンネルというサイトで「ブロマガ」を書いていました。
ブロマガというのは、ブログとメールマガジンを統合したテキスト発信サービスのことです。
僕は文章を書くことが好きで、前職では「副業で有料のメルマガを書く仕事をしたい」と社長に申し出たほどでした。もちろんプロの作家の足元にも及ばない力量ですが、いつか作家としても食べていきたいなんて夢も持っていました。
その「練習」として、多くの人の目に触れるブロマガに登録したのです。
そんな中で、僕が書いたある記事が炎上しました。
いつも一週間で閲覧数が1000いったらかなりいい方だった僕のブロマガが、ものの数時間で5000を突破し、コメント数はすべて読み切れないほどの数になっています。
ブロマガの運営の目に留まった記事はたまにピックアップされて、多くの人の目につきやすくなります。
ありがたいことに僕のその記事は、「注目の記事」のような扱いをしてもらえたのです。
最初のうちは「おもしろい」とか「共感するコメント」が多くつき、僕も気分を良くしていました。
しかし、一度非難コメントが始まるとその風向きは勢いを増し、ユーザーのどなたかが「おまえら読解力なさすぎ」と僕が仕事している間に代理戦争をしてくれていましたが(苦笑&感謝)、それがまた業火へと変わり、ろくに読んでもいない通りすがりのユーザーと思われる人まで小さな暴言を吐き捨てて去っていく状態でした。
あたかも僕のすべてを見抜いたかのような目線で僕を蔑み、非難し、誰に対してかよくわからない謝罪を要求してくる人もいました。
まさに炎上です。
コメントを投稿する人たちは、すべてニコニコチャンネルに登録している人たちなのでユーザーネームを使用しています。ごく一部の人を除いては本名を使用することはありません。
かくいう僕自身も匿名でした。
僕は周囲の人やFacebookの「友だち」には、自分のブロマガ上での名前を明かしていましたが、他の人から見れば僕も誰だかわからないどこぞのユーザーです。
僕は「匿名」ということについて、その時多くのことを学びました。
人に文章を届けることの難しさ
「自分のことを知らない人」に対して文章を書くことはとても難しいことだと思いました。
僕を知っている人が読めば「またふざけてるw」と分かる部分も、
僕を知らない人から見れば「何か不謹慎な人ね」となるわけです。
この「教科書が教えないリアル」というエッセイブログの過去記事だって、僕を知らない人が見たらちょっと眉間にしわを寄せることもあるかもしれないものがいくつかあります。
例えばこれとか。
これもそうかな。(*ノωノ)
過去に僕は、保護者から「先生は優秀な学生時代を過ごされてきたんでしょう」と言われたことがあります。
また、どのような話の流れか忘れましたが、僕を「優等生」と言った方もいます。苦笑
ある意味 作戦成功です。(´艸`*)ニヤリ
苦笑
「作戦」というのは冗談ですが、でもほんとに小中学校から僕を知る人が聞いたら、ギャグ漫画みたいにお茶噴き出してむせ笑うと思います。(同級生のみんな、しーっ(*^b^*)ナイショw)
インターネット上に存在する無数のユーザーすべてが「僕」という人間を知った上で読んでくれることはあり得ません。
ですから、批判的だったり不愉快な感情をお持ちになる方はいらっしゃると思うのです。
そんな感情を持った場合、発信者が匿名なのと実名なのと、どちらが発言に責任を持っているように感じるでしょうか。
「お前誰だよ」「お前こそ誰だよ」
こんな罵り合いは滑稽です。
あらぬ憶測を生まないためにも、記事を発信するときは、ちゃんと自分の実名を使うようにしようと決めたのでした。
匿名であっても人格は残しておきたい
犯罪やトラブルに巻き込まれないように、匿名が必要なこともあるのは分かります。
そして、匿名だからこそ「本音」を知ることができるというのも分かります。
本音だからこそ、「ネットの声」が重要視されているわけですよね。
匿名で発信することを完全に否定するわけではないのです。
僕だって、過去には難しい問題を「中学生のふり」して質問サイトで質問したこともあります。
(^_^;)だって恥ずかしかったんだもんw
ちゃんと人格を残している匿名なら問題はないのでしょう。
しかし、面と向かっては決して言わないような罵詈雑言で人を罵倒し非難する様は、まともな人格を保っているとはとうてい思えません。
実名では言えないことが、匿名だと言えるようになります。
「匿名」が群集心理をまとい批判や非難の炎をともすとき、恐ろしい光景を目にします。
一部を切り取り正義を気取り、大勢の人間が一人の人間を叩きます。
一度ついた「火」に、油を注ぐことこそが正義と言わんばかりです。
顔の見えない正義の味方が、行き先不明の謝罪要求をしてきます。
通りすがりの通行人が、道端で見かけた騒ぎにおもしろがって近寄って、訳も分からず唾を吹きかけ去っていくような、そんな行為が容易にできてしまうのが匿名です。
自分の身分証を首からぶら下げて、同じことができますか?
できる人はいないでしょう。
だから匿名とは無責任だというのです。
身分を明かすことは、責任を持つことです。
責任をともなう人格のときにはできず、無責任な匿名ならできるということは、匿名とは、人格を奪うもののようにも思えます。
人格を失った彼らは一人の対象を殴りながら叫びます。
「後のことは知ったことではない!」
「お前が傷つこうがわめこうが、書いたお前が悪いんだ!」
「 だってみんなが言っているから!」
あー
リーガルハイみたくなってきた。笑
中島みゆき「ファイト!」
塾長会で知り合った塾長さんたちの多くは、個人塾の経営者です。
僕と同じように、皆さんたくさんの悩みを抱えながらも日々闘っています。
命がけで家族を、塾を、生徒たちを守ろうと必死に生きています。
毎日が試行錯誤の連続で、うまくいったりいかなかったり。
それでも、正解のない問題を意気揚々と解き続ける皆さんに、僕は「同志」という感情を抱かずにはいられません。
そんな同志の中には、匿名掲示板で事実無根の誹謗中傷を受け悩まれている方もいます。
同じエリアの生徒の奪い合い。
塾業界の一部にいまだ根強く残る退職者への過剰な裏切り者扱い。
退塾した生徒や保護者の逆恨みなど、考え始めたらきりがありませんが、そんな「カオナシ」に足つかまれても、振り切って突っ走ってやりましょうよ。
闘う君の唄を
闘わない奴らが笑うだろう
冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ
(中島みゆき「ファイト!」)
それではまた。
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