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2017.07
「一匹のいもむし」童話から学ぶ大切な教訓
小さいころに、「童話」を読んだり聞いたりした経験はだれにもでもあるのではないでしょうか。
親が、子どもに童話を読んで聞かせる理由は、もちろん感性豊かな人間に成長してほしいという理由もあると思いますが、そこにこめられた教訓を子どもに教えたいという理由もあるのではないかと思います。
その童話にこめられた教訓は、幼いころにはほとんど理解できていないのに、ある程度成長すると様々な経験とともになんとなく分かってくるものです。
そして、童話というのは何らかの教訓が隠されているものだと知ると、今度は大人になってからでも童話を読むことに楽しさが感じられるようになります。
今回紹介する童話は、僕が予備校生のときに初めて知って、その教訓を感じ、なんだかいいなぁという気持ちを感じたそんなお話です。
一匹のいもむしが、りんごの木に住んでいました。ある嵐の晩、いもむしはりんごの実ごと吹き飛ばされ、川に落っこちてしまいました。
いもむしは、りんごの実に乗ったままどんどん下流へと流されていきました。そうして大きな海にたどりついてしまったとき、彼は思いました。「ぼくはきっと、この大きな海の上で、魚か鳥に食べられるか、ひからびて死んでしまうんだろうな。」
そう思うと、とても悲しい気持ちになりました。
「でも今できることをしよう。今日だけ、とりあえず今日だけ生きてみよう。」
そう決めると彼は、自分の乗っかっているりんごの実を少しずつかじりはじめました。りんごの舟が転覆しないようにバランスをとりながら、ゆっくりと。
やがてりんごの実は皮一枚残すだけとなりました。あとひとかじりでもしたら、きっと穴があいてりんごの舟は沈んでしまうでしょう。…いもむしは思いました。「ぼくはがんばったぞ。魚たちにいじめられても、鳥たちにおそわれても、絶対にあきらめたりしなかった。ぼくはがんばった…。だから今からぼくができることは、きっと命が尽きるその瞬間まであきらめないことだろう…。」そうつぶやくと、いもむしはじっとして動かなくなりました。
数日が過ぎて、最後の力をふりしぼり、彼は目をあけました。
「僕はもう死ぬなぁ。最後の最後に僕ができることは、僕の大好きだったこのりんごをおなかいっぱい食べることだなぁ。そして、僕は海の底深く沈んでいくんだな…。」
最後の決意をした彼は、自分の乗っているりんごをかじりはじめました。久しぶりにのどを通る食べ物は、本当に幸せを感じさせてくれました。
そのとたん、大きくぐらぐらとゆれバランスをくずしたりんごの舟が、ついに沈み始めました。「・・・あれ?」
ふしぎなことが起きました。いもむしは、その沈んでいくりんごの舟を高いところからながめていたのです。ふり向いてみると、背中には大きくてきれいな羽が風にのって動いていました。
いもむしは、一匹の美しいちょうに生まれ変わり、「奇跡が起きた!」と喜びながら、そのままあのりんごの木へ飛んでいきました。
『一匹のいもむし』(グリム童話より)
この話にこめられた教訓はなんでしょう。すぐに気づいたはずです。
最後の最後まであきらめてはいけない。
そして、この「グリム童話」には、もう一つ教訓があるように感じます。
りんごの上のいもむしは、「奇跡が起きた!」と喜んでいましたが、奇跡なんかで助かったのではないと思うのです。
この結果に結びつくだけの十分な過程をいもむしは実行しています。
生きると決意し、食べて栄養をとり、休養もとってしっかりと羽化の準備をしています。
その時々において、自分にできることを全力で取り組んできて、その結果イモムシは蝶へと姿を変えたのです。
だから、こんな教訓を感じずにはいられません。
その時、自分ができることを全力でやる。
ただそのことが、自らを成功へと導く道である。
僕は、「奇跡」と呼ばれる出来事のほとんどは、「偶然」ではなく「必然」で起きることだと考えています。
つまり、奇跡と呼ばれる出来事を導くだけの過程があってこそ得られた結果だということです。
長い間塾の教師をしてきたので、僕の目の前で、多くの子が「奇跡の合格」と呼ばれる素晴らしい合格劇を成し遂げてきました。
しかし、そのうちのどの生徒たちの受験を思い返してみても、やはりその結果に結びつくだけの血のにじむような過程がありました。
僕たちが、「合格」「勝利」「成功」これらの結果を本気で望むなら、必然としてそれらの結果を導く過程を積み上げていかなければなりません。
偶然が生み出す奇跡に期待するより、何倍も大変ですが、何倍も可能性が大きくなることは間違いないと思います。
それではまた。
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