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2024.09
【前編】塾長の半生・人生の分岐点となった受験の話|少年時代
「先生はどうして塾の先生になったんですか?」
夏休みの課題でのインタビュー、マンツーマンになった振替授業、それから面談で。
たまたま今年になって、そんな僕の「原点」を振り返る質問が重なりました。
お恥ずかしい限りの面も多々ありますが、僕の半生を3部作として、綴りたいと思います。
小中高の授業の記憶がない。
僕は決して模範的な少年時代を過ごしたわけではありません。
特に学習面においてはダメダメで、隙あらばサボろうとしたりズルしようとしたりする酷い状態でした。(おかげでそういう子の行動や心理を手に取るように見抜けるようになっています😝)
当時の僕がカレッジの本科コースにいたとしたら、おそらく1か月で本科コースをクビになっていたにちがいありません。そんな子でした。
僕には小中高の授業の記憶がほとんどありません。
記憶喪失の障害ではないです。健康優良児で、ずっと剣道をやっていて体力には自信があり、ほぼ欠席もなく学校には行っていました。
小学校から高校まで好きだった女の子の名前は好きになった順番通りに全部覚えています。
ななちゃん➡かなえちゃん➡ゆみちゃん➡ひろえちゃん➡まりこちゃん➡まゆみちゃん➡まりこちゃん(再)➡あきちゃん➡さおりちゃん。
でも、授業の内容はほとんど何も覚えていないです。
小4のときの文集の中に、担任の先生が考案した「けじめをつけよう7色の虹」というカードが入っていました。
そのカードは、けじめをつけるべき7つの項目ごとに色が決まっていて、それが達成できたらその日付けの虹を色えんぴつで塗りつぶしていくというものでした。
甘くつけられるはずの自己評価にも関わらず、ひどいもんです😅
いちおう合格ラインかなと思われるのは4の「大きな声であいさつをする」くらいで、チャイムが鳴っても席に着かず、忘れ物をしまくっています。
何より3の「人の話をしっかり聞く」と、6の「人のいやがることをしない言わない」にいたっては、1日も色を塗れていません😱
そして、このカードにくっついていたふり返り作文がありました。
最後の「わかりましたでございます。」が、わかってないだろ😤とツッコミたくなるところですが、先生のやさしいコメントには、過去の僕にかわってお礼とおわびをしたいと思います🙇
教室で、ぼーっと幽体離脱している生徒を見ると、おそらく自分もそうだったのだろうと思えてなりません。自分を棚に上げなければ子育ても教育もできませんので🙇、そんな「過去の自分」たちをしっかり指導しています🗿
というように、僕はほとんど勉強らしい勉強もせずに義務教育を終え、高校は市民であれば確実に入学できる地域推薦を使って面接のみで地元の高校に進学しました。
高校でも、勉強はあまりせず部活が中心の生活でした。
そんな僕の人生のターニングポイント、分岐点。
狭い世界の中で生きていた僕に、広い世界の片鱗を見せ、学ぶことの価値を確信させてくれたのは、まぎれもなく「あの受験」でした。
現役(高校3年)の大学受験
高校も卒業が近づき、進路を決める時期になりました。
と言っても、僕の進路は「大学進学」一択で、それ以外の選択肢は考えていませんでした。
大学への確かな目的意識や志望動機があったわけではありません。
幼い頃から、当然のように「大学に行く」という家庭の会話の中で育ったので、そういうものだと思っていたのかもしれません。
また、家族や学校の先生、友人たちから「きみは勉強すれば絶対できるのに」と洗脳のようにすり込まれてきたせいか、「僕が成績が悪いのは、勉強していないからであって、本気になればいい大学にだっていける」という根拠のない自信があったように思います。
そんなぺらぺらのプライドがあったため、僕はほぼ誰でも受かってしまう大学は受験せず、1,2校だけ聞いたことのある大学を受けました。
(通われている方や卒業された方もいらっしゃるので具体的な大学名は伏せます。)
受験勉強らしい受験勉強をしないで受けたので、当然のように玉砕し、僕は卒業後、予定通り(苦)大学進学準備のため浪人をすることになりました。
暗黒時代到来
期待に胸を膨らませて始まった予備校生活でしたが、僕はすぐ壁にぶつかりました。
上位大学を目指していた僕は、授業名に「早慶」とか「難関私大」とついている授業をたくさん受講したのですが、「これから勉強始めます」の僕に受講できるレベルの授業でも教材でもなかったのです。(そんな当たり前のことも分かっていませんでした💦)
それどころか、「基礎〇〇」と名前のついている授業も、その基礎すら僕には理解ができませんでした。
12年間、勉強らしい勉強をしてこなかったのだから、当然と言えば当然なのですが、僕はそんな自分を認めることができず、平然をよそおいつつも困惑していましあ。
そんなはずはない。僕はやればできるはずなんだ。
当時は、今のように「勉強法」がネットなどにあふれている時代ではありませんでした。やみくもに書きまくる勉強やノートまとめみたいな勉強をしていて、頭に入っている気がしなかったので、僕は予備校のチューターに相談に行きました。
早稲田大学に通う美人チューターは、一生懸命アドバイスをしてくれましたが、そのアドバイスは、そもそも英単語の覚え方の段階でつまずいている僕には高次元すぎました。
僕は同年代の美人に「勉強の仕方を教えてください」という初歩的な相談を切り出すのが恥ずかしく、助けてという話を言い出せずに終わってしまいました。まだかっこつけていたようです。
そして、今にして思えば、実に不毛な、数々の「ダメな勉強法の典型例」を実践しながら時間だけが過ぎていきました。
しかし、当時はそれが誤った勉強法だとは思ってもいませんでしたので、やればできるはずの僕が「やってもできない」現実に直面し、薄氷のプライドは日に日に粉砕されていきました。
やがて、自分に向けて言い訳が始まります。
何のために大学に行くのか、何でこんな勉強をしなきゃいけないのか。この勉強にどんな意味があるのか、何の役に立つのか。納得のいかない行動はしたくない。
困難に弾き飛ばされて立ち向かうことから逃げ出そうとする人間の、誰も耳を傾けない必死で哀れな虚勢でした。
僕は、しだいに予備校からも足が遠のいていきました。
予備校に通う浪人生には、勉強をしないのであればものすごく時間があります。僕は自分自身についていつも考えるようになっていました。
今までの自分は、何に一生懸命になっただろう。
納得がいかないなんてただの言い訳じゃないか。
いやなことは避けてばかりで、乗り越える努力をしたことがあっただろうか。
自分は口だけの人間だ。
なんて情けない男だろう。
だんだん僕は高校の友達とも会わなくなりました。自分がおそろしくヘナチョコに見えて、かっこ悪くてたまらなかったからです。
人間は、一人になればなるほど自分だけの世界に入り込んでいくものです。
自分は誰の役にも立っていない人間だな、いてもいなくても関係のない無意味な人間なら、別に生きていても仕方がないな・・・なんて、日を追うごとに暗い世界へまっしぐらです。
今思うと何を馬鹿なことをと思ってしまいますが、当時は自分の存在意義について真剣に悩み、よからぬことまで考えたものです。
しかし、どんな深い海にも底はあるもの。行くところまで行き着いたら、あとは「きっかけ」をバネにしてのぼるだけです。
僕の場合、きっかけは幼稚園のちいさな男の子でした。
小さなちょうちんアンコウ
冬のある日、僕は当時住んでいた埼玉から、ぶらっと母校の東京都中野区立新井小学校(現在の令和小学校)に出かけました。
体育館横の階段に座り、放課後の校庭開放で遊んでいる子たちを、ノスタルジックな心境で小学校時代の自分に重ねて眺めていました。
ふと校庭の端を見ると、サッカーボールを持って一人で遊んでいる小さな男の子がいました。時々サッカーをしているたくさんの子たちを見ては、仲間に入れてほしそうな表情を浮かべています。
僕はその男の子に近づき、「お兄ちゃんが『いれて』って言ってあげようか?」と声をかけました。
するとその子は、ほんと?!と声に出さないながらもものすごくうれしそうな表情を浮かべて僕を見ました。
その直後、その子の付き添いと思われるおばあちゃんがやってきて、「この子はまだ幼稚園だから、小学校のお兄ちゃんたちとは遊べないんですよ」と言うのです。
なるほど、低学年ぽくはありましたが、けっこう白熱してサッカーをしているあの子たちが、幼稚園の子を仲間に入れてうまく遊んであげられるかは、たしかに心配ではありました。
でも、一度みんなと一緒にサッカーができるかもしれないと思ったその子のしょんぼりした表情は、僕にはどうしてもほうっておくことができませんでした。
「じゃあさ、お兄ちゃんと一緒にサッカーしよっか?」
僕がそう言うと、男の子は目を大きく見開いて「うん!」と返事をしました。
そして、その子と僕はずっと笑いながら声を出しながら走り回りました。
久しぶりに動きまわったため肺が驚いたのか、呼吸に血の匂いがしだしたのでヤバいと思っていた頃に、ちょうど校庭開放の時間が終わって、その子とのサッカーも終わりました。
ゼハゼハ言いながら、僕が「楽しかった?」と聞くと、最高の笑顔でその子は大きくうなずいてくれました。
帰りの電車の中、僕は死ぬほど疲れていたけど、うれしさで興奮していました。
今日の自分には意味があった。
一人だけど、あんなに小さい子だけど、自分がしたことで、あの子はあんなに喜んでくれた。
暗い海の中で小さな光を灯してくれた、そんな瞬間でした。
「こんなのがきっかけ?」と思われてしまうかもしれません。
でも、間違いなくその日から僕は変わりました。
生きていて意味がないとか、誰の役にも立ってないとか、自分のことをどうしようもない奴だと決めつけていたけど、なんだかけっこういいやつじゃん👍と自分を見直すようにしたのです。いい意味での「ひらきなおり」です。
そうなると「勉強する理由」なんか、もうどうでもよいと感じました。
自分がバカなんだと認め、恥ずかしいとかかっこ悪いとかの感情は捨てて、大学に入るために勉強するというより、自分の苦手なこと、嫌いなことから逃げずに、正面から必死に挑んでみよう、自分がどこまでやれる人間なのか試してみよう。
僕の受験は「自分試し」の名のもとに再開されました。
・・・でもそこから1、2ヶ月勉強したくらいで大学に合格するわけはなく、僕は両親に頭を下げ、嵐を予感させる2浪が決定しました。
後編につづく。
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